争いを鎮め 病を鎮め 災厄を鎮める 万象鎮めの神
御祭神
經津主命(ふつぬしのみこと)
由緒
当社の創建年代は定かではありませんが、12世紀後半に中原兼遠により鳥居峠に建立されたと伝わっております。
1582年に木曽氏と武田氏の間で大規模な戦乱がおこると、奈良井宿と共に大きな被害を受け、奈良井城の城主である奈良井義高によって、現在地に遷座、社殿や境内の整備が行われました。
『神名記』によると、元和四年(1618)春、「すくみ」という疫病が奈良井・平沢で流行、苦難に苛まれた両郷の里人たちは協議のうえ、同年5月、時の神祇官領長卜部朝臣吉田兼英へ願い出て、千葉県香取神宮の御祭神である經津主大神を勧請致しました。産土神として奉斎し、同年6月22日遷宮祭をおこなうと忽ちに難病が静まり、これにより「鎮大明神」と呼ばれると共に社名も「鎮神社」へと改称されました。
慶安三年(1650)6月から神輿行幸も始まり、両郷の里人はもちろん、旅人や参勤交代で中山道を通る武将の崇敬厚く、400年余りにわたり信仰をあつめております。
現在の社殿は1664年、大桑村の定勝寺山門(国指定重要文化財)などを建築した棟梁田中庄三郎重房氏により造営されました。
一間社流造、屋根は杮葺で、全体に漆が塗られ、江戸時代初期の建築を今に伝えております。
「元和四年戊午(1618)春より、奈良井・平沢に「噤(すくみ)」と云う難病が流行し住民難儀せしに依り、両郷の総氏子談合のうえ、同年五月、時の神祇官領長上卜部朝臣吉田兼英卿へ願い出て、鳥居峠の麓に社殿を造営し經津主大神を勧請して両郷の産土神として奉斎し六月二十二日遷宮祭をおこなうところ之により難病忽ちに鎮まるを以て鎭大明神と号す。
後、慶安三年庚寅(1650)六月より神輿行幸が始まる。」 『神名記』より
御神徳
当社御祭神は千葉県香取市の香取神宮より勧請された神様です。
その御神徳は多岐にわたり、福徳円満、武運長久、また当社の由緒から病気平癒、鳥居峠の麓に建立されているところから旅行安全、身体健全など万業を守護し給うと云われております。